父のねぷた、祖父のねぷた

ねぷた祭り期間中、珍しく父(81歳)がねぷたについて話していた。(いつもホラが多いので信憑性の程は定かでは?)


父が18歳の頃。

戦後初の進駐軍に見せるためのねぷた造り、ねぷた祭り。皆気合が入っていたと思われる。我浜の町は予定がなかったが、となり町の石渡から父に描画の依頼がきたそうな。

持ち上げられるとその気になる所謂津軽のモツケ、必死で描いた。1週間、一人で全てを描き上げたという。

当時は今と違って木枠の手作りなので随分不恰好なねぷたも多かったが、絵は寧ろ皆上手い人が多かったようです。そんな激戦。当時は完全順位評価制で、18歳の少年が描いたねぷたが3等入賞の快挙。喜んだことと想像できますね。

その大活躍の父への報酬はステテコ2枚(這いつくばって描くので膝が擦り切れてしまったらしい)。このわずかの報酬は嬉しかったに違い有りません。


さらに父が語る、祖父の世代。

ねぷたの喧嘩です。小遣い集めの子供ねぷたが多かった。

「ねぷたこ見でけへ〜」

戸口を順次巡り歩く少年達。当然、となり村となり町へ欲張ると、縄張り争いが起こる。実は女子も参加していたというのは意外だった。女子の役割はリヤカー(ねぷたの台車)に石を積み 喧嘩が始まったらその石を素早く男子に手渡す。ねぷたは木枠に紙を張っていたので石打で無残な格好になるわけだ。それでは腹の虫が修まらないので人間同士の喧嘩となる。とくに、


上町対下町 上町=金持ち 下町=貧乏 下町=劣等感


この喧嘩は絶対負けられないと思うのは下町派。



最近のシステム化された合理的ねぷた祭りは、面白みももう一つというのは年寄りの共通の話題。ヒガミになるのでしょうが、人間同士のお祭りだったような気がします。

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